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「渋い」展覧会

新津美術館で開催中の「日本画の現在 20年後の横の会」展に行ってきました。
パネル張りの巨大な日本画を見ることが出来ました。

岩絵具の目にも鮮やかな色彩に驚きました。

ぼくの目に止まったのは「蓮」と題された作品。葉が黒檀色にぬられていて重厚で存在感抜群、しかし、しずかな瞑想にもふけっているようでそこから薄紅色の蓮の花が咲いていて実に良かった。

また、「箔」について質問をしたら学芸員の方が資料を持参し、技法や、横の会についても詳しく話してくれて、日本画を「しっくり」と感じていなかったから、理解が深まりました。

つまり、(ぼくなりに、日本を見ながら考えたこととして)日本画は岩絵具や支持体である紙や麻、絹そして、「箔」(箔には金箔のほか銀箔やプラチナ箔、銀箔を化学変化させた黒箔などがあり)、膠・・・素材、つまり物理的、もしくは素材学的な手法から絵画を構成している。主たる関心は「生の絵画」を見た時のきらびやかや重厚さを素材に求めている。この点は明らかに、キリスト物語、印象派、キュービズム、抽象など「テーマ」に主題をおいている西洋絵画とは明らかな相違がある。だから、絵画のテーマは何かを思って日本画を見てはいけないのかもしれない。
日本画のオリジナリティーとは人々が古くから素材を丹念に研究し、支持体から、絵の具から、箔まで様々な複合的要素を操りながらひとつの画面を構成することであり、それこそ伝統であり、作業過程こそ宝だ。西洋絵画はこれほどの複雑な「素材学」的関心はない。

つまり「この絵画は何できているか?」という問いに対しての答えとなるのは、西洋では絵画に込める「テーマ」であり日本画は「素材的研究」である。

岩絵具の発色は驚きに値する。また、しっかりとした知識を持って描かれたものならば何年も色褪せることはない。
だから「日本画の歴史」といって、時代時代の絵画を紹介するのもいいが、いかに素材を操り、発見しながら絵画を作ったかを歴史として捉える事のほうがぼくにとっては興味がわいた点であり、日本の中小企業のクリエイティブな力、たとえば磨く特殊技術がチタンという素材を光が当たる角度で次々と色が変化するものにした、燕の企業のような)と合い通じるところがあって、とても「日本」なのだ。

つまり、虹はうつくしい、ということだ。地球があり、人間がある限り、虹はうつくしいものであり続ける、というスタンスだと思った。

ということで、新津美術館のこの展覧会企画と熱心に解説をしてくれた学芸員さんから考える機会を与えられた1日でした。

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